中日
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外国人審判を大豊泰昭さんが突き飛ばし…星野監督“出動”で「未経験の恐怖」を与えた舞台裏
1997年は俺にとってもチームにとっても試練の年だった。自身の打撃不振に加え、ナゴヤ球場からナゴヤドームへの本拠地移転。球場全体が広くなった影響で、打撃成績はからっきしだった。 広くなったのに、なぜかヤジはしっかり聞こえた。...
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「もう野球やめたる!」…俺は高卒1年目の森野将彦に“泣かされた”
1996年に本塁打王を獲得。オフはプロ野球人生で初めて、「キング」として見られる日々が続いた。地方遠征の試合に行けば、学生やアルバイトの子たちが興味本位でバッティング練習をのぞきに来た。 「しっかりやらなあかんな……」と思いを...
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高畠導宏さんにはとてもお世話になった。絶不調の俺に手を差し伸べてくれた名伯楽
1996年に「本塁打王」の称号を手にした後、大きなプレッシャーと不安に襲われていた。タイトルを取ったシーズンは終盤の9月から打撃が絶不調。翌97年の春季キャンプになっても調子が回復する兆しはまったくなかった。 出口の見えない...
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中日・根尾昂が正真正銘の崖っぷち…8年目の来季へ200万円減の1050万円で契約更改
昨季は「勝負の年」、今季は「背水」と言われたが、ならば来季は……。 プロ7年目のシーズンを終えた中日の根尾昂(25)が4日、契約更改を行い、200万円減の1050万円でサインをした。 今季は4試合にリリーフ登板し、勝...
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本塁打王を取ったオフ、年を越したら得体の知れない不安と重圧に襲われた
1996年オフの契約更改は年俸1億2000万円でサイン。バラ色のオフを迎えた俺は、名古屋に加えて東京のテレビ局に引っ張りダコの日々だった。 「プロ野球選手というのは、活躍してスターになったら積極的にメディアに出ていくべきだ」 ...
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「1億円プレーヤー」になって買ったご褒美…巨人・松井秀喜に競り勝ち本塁打王、バラ色のオフだった
1996年はバラ色のオフが待っていた。39本塁打でタイトルを獲得。それまで年俸が安かった分、成績かお金かとなれば、やっぱり生活的なものが優先。「もっと稼ぎたい」という気持ちが強かった。 前年の年俸は3000万円。そこから4倍...
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あれっ、俺のバットが…減量成功で体のキレが増してもイマイチ調子が上がらなかったワケ
1996年、39本塁打でプロ入り初のタイトルを獲得した。この称号を手にするまで、最後の最後にスッタモンダがあったことは前回書いたが、実はこのシーズンだけ、これまでとは違ったところがあった。 打者の生命線、バットだ。この年、沖...
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バスタオル一枚の星野監督は鬼の形相でダッシュ、そのまま俺は飛び蹴りを食らった
1996年、プロ入りして初めて、タイトル争いをした。本塁打王を射程圏に捉えたシーズン終盤、ある騒動が勃発した。 タイトル争いは巨人の松井秀喜、大豊泰昭さん、俺の三つ巴。俺が39本、松井が38本、大豊さんが37本とした10月8...
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ゴジラ松井との本塁打王争いのうれしい悩み…スポーツ紙の中身が気になりすぎて毎朝4時には目が覚めた
好調をキープしていた1996年、本塁打のタイトルを意識するようになったのは、球宴明けの8月に入ってからだった。 同僚の大豊泰昭さんが春先からキングを独走。俺は前年、16本塁打だったこともあり、「今年は背番号(22)くらい打て...
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星野監督&張本勲さんからの助言に共通した「もっと自分を疑え」。だから俺は調子が良いときでも…
1996年5月1日、巨人のガルベスとの大立ち回りをして一躍話題になったものの、なかなかレギュラーに定着できなかった。 左打ちの愛甲猛さん(95年オフにロッテから無償トレードで移籍)との併用が続き、相手投手の左右や相性でスタメ...
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星野監督時代は「陣形」が存在、いまでは考えられない乱闘の内幕
ここ最近、乱闘はめったに見られなくなった。WBCなどの国際大会が増え、球団の垣根を越えて同じユニホームを着る機会が多くなった。ベース上で敵同士が仲良く話す光景も珍しくない。 オフになれば、違う球団の選手たちが集まって自主トレ...
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「ガルベスと牛乳で仲直りしよう」…大豊泰昭さんの提案を断固拒否してそれっきり
1996年5月1日、巨人戦で勃発したガルベスとの大乱闘で試合は32分の中断。俺とガルベスは仲良く退場となった。 当時、俺の考えの根底には「外国人に日本の野球をナメられたくない」という強い思いがあった。プロの世界で多くの外国人...
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俺と巨人ガルベスの大乱闘の一部始終…落合博満さんのヘッドロックには気を失いかけた
令和になって乱闘は「天然記念物」になった。ただ、俺らの現役時代、特に星野仙一監督時代は日常茶飯事だった。 今でも「乱闘といえば」といって話題にあがるのが、1996年5月1日の巨人戦。ナゴヤ球場で起きた俺とガルベスによる大立ち...
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まさかの故障で失意の最中「お前はラッキー」…トシさんの言葉がなければ今の俺はいない
1996年の開幕前、脇腹を痛めて絶体絶命だった俺は10日間、まったく練習せず球場にも行かない「超安静」を決断した。 オープン戦が終わってトーナメントリーグ(※)が始まっても、家でボーッとする日々に不安が募った。前年の95年、...
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バンテリンD「ホームランウイング」が井上中日にもたらす大誤算… ギャオス内藤氏「かえって裏目の危険」
「来年は90周年の節目であり、ぜひとも優勝を勝ち取ってほしいところです」 6日、中日の大島宇一郎オーナーがこう言った。就任1年目の今季、4位に終わった井上一樹監督のオーナー報告を受け、来季の優勝を厳命。井上監督は「みんながスタ...
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星野監督の意外な優しさに驚いた。開幕直前「脇腹痛でバットを振れない」と報告したら…
1995年オフ、星野仙一監督の指令で、22キロの大減量に成功した。春季キャンプの初日に星野監督の前で体重計に乗り、88キロで計量をパス。無事に2月1日のキャンプインを迎えることができた。 2カ月間の過酷な減量の反動で、キャン...
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そうだ、風邪をひけばいいんだ!減量に行き詰まった末、裸同然で極寒の庭へ飛び出した
1995年の秋季キャンプ終盤、星野仙一監督から20キロの減量を命じられた。走り込み、サウナ、食事制限と過酷なメニューをこなし、15キロ減。2月1日の春季キャンプインまで2週間を切り、あと5キロが遠かった。 そんな中、「迷案」...
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中日・松山晋也が侍J守護神に浮上!抜群の安定感、骨折で1カ月離脱しても46Sの仰天
巨人のライデル・マルティネス(28)と中日の松山晋也(25)が、今季46セーブでタイトルを分け合った。松山は初、マルティネスは3度目となる。 マルティネスは前日9月30日の中日戦で、移籍後初の八回のマウンドに上がり、巨人では...
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カムバック星野監督の“2カ月20kg”の無茶ぶりに「嫌です」なんて言えるはずもなく…
「今何キロあるんや?」 1995年オフ、5年ぶりに星野仙一監督が復帰した。2度目の就任だ。秋季キャンプ終盤、監督室に呼び出されるなり、こう聞かれた。 俺が「110キロくらいです」と答えると、監督は「そうか。じゃあ20や...
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星野監督の退任にガッツポーズも…あまりに早すぎる星野監督の現場復帰に頭を抱えた
これまで星野仙一監督の型破りな言動を書いてきたが、俺も破天荒にならなければ、ここまで生き残ることはできなかったかもしれない。 俺が一軍に定着できたのは1995年の9年目。これだけの遅咲きで、8年間も二軍におったら普通はクビに...
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叱責、鉄拳、罰金…試練の日々で星野監督よりも「怖かった人」
星野仙一監督時代の叱責、鉄拳、罰金……。試練の日々で救いだったのは、名参謀・島野育夫さんの存在だった。 星野監督の1次(1987~91年)、2次政権(96~2001年)でヘッドコーチなどを歴任した闘将の右腕だ。 俺が...
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敵軍・大野豊さんの“余計な一言”で理不尽すぎる罰金「7ケタ」のとばっちり
罰金の話の続きをしよう。 俺が食らった最高額は100万円。1回目は3年連続で春季キャンプ初日に風邪をひいたとき。2回目は1996年6月15日、広島戦(広島市民球場)でのことだった。 96年はシーズン序盤から調子が良か...
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中日井上監督はたった1年で土俵際…お粗末ベンチワークの「最大の被害者」は?
今季のBクラスが確定した中日。就任1年目の井上一樹監督(54)について朝田球団本部長は先日、「一軍で指揮を執るのは初めて。いろいろ模索しながらやっておられたと思います。できる限りのサポートはしてきたつもりなんですけれども、残念ながら...
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敵も味方も多かった中田翔 最後に「人望の厚さ」印象づけ18年間の現役生活に幕
中日・中田翔(36)が19日、自身の引退試合に「4番・一塁」でスタメン出場。現役最後の打席は初回2死一塁、ヤクルト先発・吉村の真ん中147キロを豪快に空振り。通算1340個目の三振で18年間の現役生活に幕を下ろした。 そんな...
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巨人戦の殊勲打で星野監督から"出どころ不明"の100万円、そのぶん罰金もたくさん取られた
「打倒巨人」をテーマに掲げていた星野仙一監督。その熱量の高さは「賞金」にも表れていた。 当時、試合での活躍に応じて、監督賞が出た。ペナントレースを左右する大一番になるとお金を弾んだりするものだが、星野監督の場合は巨人戦がそうだ...
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星野監督の鉄拳は「戦略」だった…楽天時代の俺は分かった上であえて皆の前で怒られていた
プロ野球生活の27年間を振り返っても、「闘将」と呼ばれた星野仙一監督は派手なタイプの指揮官だった。 負ければベンチを蹴り上げ、勝っても納得がいかなければ選手を叱った。それを一種のパフォーマンスと揶揄する人もいるが、監督はパフ...
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「俺に飲めっていうんか!」 星野監督はビンを叩きつけて粉砕…打倒巨人の執念は凄まじかった
血の気の多かった星野仙一監督が最もヒートアップしたのが巨人戦だった。「打倒巨人」のエネルギーは凄まじく、巨人戦の前だけは移動休みがなかった。 たとえば、火曜日からの3連戦の場合、前日の月曜日は「移動日」として練習が休みになる...
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07年日本S、落合監督とオレが完全試合継続中の山井を八回で降板させた本当の理由(下)
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり、そして“事件”。当時の空気感や人間関係、出来事...
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阪神・佐藤輝明のスイングに「大谷級」の衝撃データ…中日戦で1試合2発、打点は“長嶋茂雄超え”
佐藤輝明(26)が15日の中日戦で圧巻の1試合2発を放った。 低めのチェンジアップを捉えた三回の37号はバックスクリーン右へ一直線。五回には外角144キロの直球を浜風に乗せて左翼ポール際に運んだ。 本塁打と打点の2冠...
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07年日本S、落合監督とオレが完全試合継続中の山井を八回で降板させた本当の理由(上)
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり、そして“事件”。当時の空気感や人間関係、出来事...
