1813年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
| 十年紀: | 1790年代 1800年代 1810年代 1820年代 1830年代 |
| 年: | 1810年 1811年 1812年 1813年 1814年 1815年 1816年 |
1813年(1813 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]


- 1月28日 - ジェイン・オースティンの長編小説『高慢と偏見』が刊行[1][2]。
- 2月28日 - 前年のロシア遠征失敗を受け、プロイセン王国とロシア帝国が対仏同盟条約(カリシュ条約)に調印[3]。
- 3月16日 - プロイセンがフランス帝国へ宣戦布告[3]。
- 3月17日 - プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が告諭「我が民へ」を公布し、国民に対仏蜂起を呼びかける。また、身分を問わない軍功勲章として鉄十字章を創設(規定上の制定日は3月10日付)[4]。プロイセン・ロシアを中心に第6次対仏大同盟が本格化し、ドイツ解放戦争が始まる。
- 4月28日(文化10年3月28日) - 江戸幕府が十組問屋を再編し、65組に株札を交付して公認・統制を強化(菱垣廻船積問屋の公認)[5]。
- 5月2日 - グロースゲルシェンの戦い: ナポレオン率いるフランス軍がプロイセン・ロシア連合軍に辛勝。
- 5月20日 - 5月21日 - バウツェンの戦い: フランス軍が同盟軍を破るが決定打とならず[6]。
- 6月4日 - 交戦両国がプラスヴィッツ休戦協定を締結し、戦況は一時休戦に入る[7]。この間、メッテルニヒ主導下のオーストリアが調停工作(プラハ会談)を行う。
- 6月21日 - スペイン独立戦争: ビトリアの戦い。ウェリントン侯爵率いる英西葡連合軍がジョゼフ・ボナパルト率いるフランス軍を撃破し、イベリア半島からフランス勢力をほぼ駆逐[8]。
- 7月21日 - イギリスで1813年特許法が国王裁可を受け成立。イギリス東インド会社のインド貿易独占権が撤廃され(対中貿易・茶の独占を除く)、インド市場が自由貿易へ開放される[9]。
- 7月26日(文化10年6月29日) - イギリスのジャワ副総督ラッフルズが派遣した船が長崎に入港し、出島オランダ商館の接収を図るが、商館長ドゥーフがこれを拒絶[10]。
- 8月11日 - プラハ会談の決裂を受け、中立の立場をとっていたオーストリア帝国がフランスに宣戦布告し、第6次対仏大同盟に正式参加[3]。
- 8月26日 - 8月27日 - ドレスデンの戦い: ナポレオン率いるフランス軍がオーストリア・ロシア・プロイセンの同盟軍を撃破[11]。
- 9月10日 - 米英戦争: エリー湖の湖上戦。オリバー・ペリー率いるアメリカ海軍がイギリス艦隊を破り、エリー湖の制水権を奪取[12]。
- 10月5日 - 米英戦争: テムズの戦い。アメリカ軍が勝利し、英軍に与したショーニー族の首長テカムセが戦死[13]。
- 10月8日(嘉慶18年9月15日) - 清朝で白蓮教系の天理教徒が北京の紫禁城に乱入(天理教の乱)[14]。
- 10月16日 - 10月19日 - ライプツィヒの戦い(諸国民の戦い): ロシア・プロイセン・オーストリア・スウェーデン等の対仏同盟軍がフランス軍を包囲・撃破[15]。ナポレオンは敗退し、ライン同盟は崩壊、フランス勢力は本土へ退却する。
- 10月19日(文化10年9月26日) - ゴローニン事件の解決: 拿捕されていた豪商高田屋嘉兵衛らの尽力により、箱館でロシア海軍軍艦長ゴローニンが釈放・返還される[16]。
- 10月24日 - ロシア・ペルシア戦争の講和条約であるゴレスターン条約がロシア帝国とガージャール朝(イラン)の間で締結[17]。
- 11月6日 - メキシコ独立革命: モレーロスが招集したチルパンシンゴ会議において、スペインからの独立を宣言[18]。
- 11月30日 - フランスの支配から脱したオランダへ、亡命先のイギリスからウィレム1世が帰還し、オランダの独立が回復される[19]。
- 12月8日 - ベートーヴェンの交響曲第7番、および『ウェリントンの勝利』がウィーンで初演[20]。
- 月日不詳 - 海保青陵が経世論書『稽古談』を著す[21]。
- 月日不詳 - 式亭三馬が滑稽本『浮世床』初編を刊行[22]。
誕生
[編集]→「Category:1813年生」も参照
- 1月4日 - アレクサンダー・フォン・バッハ[23]、オーストリアの政治家、内相(+ 1893年)
- 1月13日 - アゴスティーノ・デプレーティス[24]、イタリアの政治家、首相(+ 1887年)
- 1月19日 - ヘンリー・ベッセマー[25]、イギリスの技術者、発明家(ベッセマー転炉製鋼法を開発)(+ 1898年)
- 1月21日 - ジョン・C・フレモント[26]、アメリカの探検家、軍人、政治家(共和党初代大統領候補)(+ 1890年)
- 2月12日 - ジェームズ・デーナ[27]、アメリカの地質学者、鉱物学者(+ 1895年)
- 2月14日 - アレクサンドル・ダルゴムイシスキー[28]、ロシアの作曲家(ロシア国民楽派の先駆者)(+ 1869年)
- 3月15日 - ジョン・スノウ[29]、イギリスの医師(近代疫学の父。コレラの感染源特定に寄与)(+ 1858年)
- 3月18日 - フリードリヒ・ヘッベル[30]、ドイツの劇作家(+ 1863年)
- 3月19日 - デイヴィッド・リヴィングストン[31]、イギリスの宣教師、探検家(アフリカ奥地を探検)(+ 1873年)
- 4月3日(文化10年3月3日)- 林洞海[32]、幕府奥医師、明治期の陸軍軍医総監(+ 1895年)
- 4月6日(文化10年3月6日)- 源清麿[33]、江戸時代後期の刀工(+ 1855年)
- 4月7日(文化10年3月7日)- 真木保臣(真木和泉[34])、久留米藩出身の尊皇攘夷派志士(+ 1864年)
- 4月23日 - スティーブン・ダグラス[35]、アメリカの政治家(カンザス・ネブラスカ法を提案、リンカーン・ダグラス論争)(+ 1861年)
- 5月5日 - セーレン・キェルケゴール[36]、デンマークの哲学者、実存主義の創始者(『あれか、これか』『死に至る病』)(+ 1855年)
- 5月22日 - リヒャルト・ワーグナー[37]、ドイツの作曲家(総合芸術としての楽劇を確立、『ニーベルングの指環』)(+ 1883年)
- 7月1日 - パーヴェル・アンネンコフ[38]、ロシアの文芸評論家、回想録作家(+ 1887年)
- 7月12日 - クロード・ベルナール[39]、フランスの生理学者(実験医学の確立、生体内環境の恒常性の概念を提唱)(+ 1878年)
- 8月5日 - イーヴァル・オーセン[40]、ノルウェーの言語学者、文献学者(近代ノルウェー語の規範ニーノシュクを創始)(+ 1896年)
- 10月2日(文化10年9月9日)- 伴林光平[41]、国学者、尊皇派志士(天誅組の変に参加)(+ 1864年)
- 10月10日 - ジュゼッペ・ヴェルディ[42]、イタリアのオペラ作曲家(『ナブッコ』『アイーダ』)(+ 1901年)
- 10月17日 - ゲオルク・ビュヒナー[43]、ドイツの劇作家(『ダントンの死』『ヴォイツェク』)(+ 1837年)
- 10月17日(文化10年9月24日)- 村垣範正[44]、江戸幕府外国奉行(万延元年遣米使節副使)(+ 1880年)
- 10月23日 - ルードヴィヒ・ライヒハルト[45]、プロイセン出身のオーストラリア探検家、植物学者(+ 1848年頃)
- 10月23日 - フェリックス・ラヴェッソン[46]、フランスの哲学者(+ 1900年)
- 11月30日 - シャルル=ヴァランタン・アルカン[47]、フランスの作曲家、ピアニスト(+ 1888年)
- 12月19日 - トーマス・アンドリューズ[48]、アイルランドの化学者、物理学者(気体の液化実験から臨界点の概念を確立)(+ 1885年)
- 月日不詳
崩御・死去
[編集]→「Category:1813年没」も参照
- 1月17日(文化9年12月15日) - 本多忠籌[51]、江戸幕府老中格、陸奥泉藩主(松平定信を補佐し寛政の改革を推進)(* 1740年)
- 1月20日 - クリストフ・マルティン・ヴィーラント[52]、ドイツの詩人、小説家(教養小説の先駆者)(* 1733年)
- 2月11日 - アンデシュ・エーケベリ[53]、スウェーデンの化学者(元素タンタルを発見)(* 1767年)
- 4月10日 - ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ[54]、イタリア出身のフランスの数学者、天文学者(解析力学の創始)(* 1736年)
- 4月19日 - ベンジャミン・ラッシュ[55]、アメリカの医師、アメリカ独立宣言署名者(アメリカ精神医学の父)(* 1746年)
- 4月27日 - ゼブロン・パイク[56]、アメリカの軍人、探検家(南西部の探検に従事、パイクスピークの命名元)(* 1779年)
- 4月28日 - ミハイル・クトゥーゾフ[57]、ロシアの軍人、元帥(1812年ロシア遠征で焦土作戦を指揮しナポレオン軍を撃退)(* 1745年)
- 6月18日(文化10年5月20日)- 平沢常富(朋誠堂喜三二[58])、江戸時代の黄表紙作者、狂歌師(* 1735年)
- 6月28日 - ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト[59]、プロイセンの軍人、参謀総長(軍制改革・徴兵制度を推進)(* 1755年)
- 7月31日(文化10年7月5日) - 蒲生君平[60]、儒学者、尊王論者(『山陵志』で「前方後円墳」の用語を創始)(* 1768年)
- 9月4日 - ジェームズ・ワイアット[61]、イギリスの建築家(ゴシック・リヴァイヴァル建築)(* 1746年)
- 9月24日 - アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ[62]、ベルギー出身のフランスの作曲家(オペラ・コミックの大家)(* 1741年)
- 10月19日 - ユゼフ・ポニャトフスキ[63]、ポーランドの貴族、フランス帝国元帥(ライプツィヒの戦いで殿軍を務め戦死)(* 1763年)
- 11月12日 - J・ヘクター・セントジョン・ド・クレヴクール[64]、フランス系アメリカ人の随筆家(* 1735年)
- 12月24日(文化10年閏11月2日) - 後桜町天皇[65]、第117代天皇(江戸時代最後の女性天皇)(* 1740年)
脚注
[編集]注釈
出典
- ↑ 『高慢と偏見』 - コトバンク
- ↑ 『自負と偏見』 - コトバンク
- 1 2 3 『解放戦争』 - コトバンク
- ↑ Iron Cross - Britannica
- ↑ 『十組問屋』 - コトバンク
- ↑ Bautzen - Britannica
- ↑ The Austrian attempt at mediation - Britannica
- ↑ Battle of Vitoria - Britannica
- ↑ Government of India Acts - Britannica
- ↑ 『ドゥーフ』 - コトバンク
- ↑ Battle of Dresden - Britannica
- ↑ Battle of Lake Erie - Britannica
- ↑ Battle of the Thames - Britannica
- ↑ 『天理教の乱』 - コトバンク
- ↑ 『ライプツィヒの戦い』 - コトバンク
- ↑ 『高田屋嘉兵衛』 - コトバンク
- ↑ 『ゴレスターン条約』 - コトバンク
- ↑ Congress of Chilpancingo - Britannica
- ↑ William I - Britannica
- ↑ 『ベートーベン』 - コトバンク
- ↑ 『稽古談』 - コトバンク
- ↑ 『浮世床』 - コトバンク
- ↑ Alexander-baron-von-Bach - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『デプレーティス』 - コトバンク
- ↑ 『ベッセマー』 - コトバンク
- ↑ 『フレモント』 - コトバンク
- ↑ 『デーナ』 - コトバンク
- ↑ 『ダルゴムイシスキー』 - コトバンク
- ↑ 『スノー』 - コトバンク
- ↑ 『ヘッベル』 - コトバンク
- ↑ 『リビングストン』 - コトバンク
- ↑ 『林洞海』 - コトバンク
- ↑ 『源清麿』 - コトバンク
- ↑ 『真木和泉』 - コトバンク
- ↑ 『ダグラス』 - コトバンク
- ↑ 『キルケゴール』 - コトバンク
- ↑ 『ワーグナー』 - コトバンク
- ↑ 『アンネンコフ』 - コトバンク
- ↑ 『ベルナール』 - コトバンク
- ↑ Ivar-Andreas-Aasen - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『伴林光平』 - コトバンク
- ↑ 『ベルディ』 - コトバンク
- ↑ 『ビュヒナー』 - コトバンク
- ↑ 『村垣範正』 - コトバンク
- ↑ 『ライカート』 - コトバンク
- ↑ 『ラベソンモリアン』 - コトバンク
- ↑ Valentin-Alkan - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『アンドリューズ』 - コトバンク
- ↑ 『植村文楽軒』 - コトバンク
- ↑ 『月照』 - コトバンク
- ↑ 『本多忠籌』 - コトバンク
- ↑ 『ウィーラント』 - コトバンク
- ↑ 『エーケベリ』 - コトバンク
- ↑ 『ラグランジュ』 - コトバンク
- ↑ 『ラッシュ』 - コトバンク
- ↑ Zebulon-Pike - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『クトゥーゾフ』 - コトバンク
- ↑ 『朋誠堂喜三二』 - コトバンク
- ↑ 『シャルンホルスト』 - コトバンク
- ↑ 『蒲生君平』 - コトバンク
- ↑ 『ワイアット』 - コトバンク
- ↑ 『グレトリー』 - コトバンク
- ↑ Jozef-Antoni-Poniatowski - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『クレーブクール』 - コトバンク
- ↑ 『後桜町天皇』 - コトバンク