沼川洋一
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| 沼川洋一 ぬまかわ よういち | |
|---|---|
| 生年月日 | 1931年11月11日 |
| 出生地 |
|
| 没年月日 | 2016年10月28日(84歳没) |
| 出身校 | 明治薬科大学卒業 |
| 前職 | 薬剤師 |
| 所属政党 |
(公明政治連盟→) 公明党 |
| 子女 | 長女・沼川浩子 |
| 選挙区 | 旧熊本1区 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 1983年12月18日 - 1990年1月24日 |
| 選挙区 | 熊本市選挙区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 1967年 - 1983年 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 1963年 - 1967年3月31日 |
沼川 洋一(ぬまかわ よういち、1931年11月11日[1] - 2016年10月28日[2])は、日本の政治家、薬剤師。衆議院議員(2期)、熊本県議会議員(4期)、熊本市議会議員(1期)。公明党に所属した。
衆議院石炭対策特別委員会委員、社会労働委員会委員、公明党熊本県支部選挙対策委員長、明治薬科大学同窓会組織明薬会熊本支部長などを歴任。
経歴
[編集]熊本県生まれ[1]。1955年、明治薬科大学卒業[1]。1963年、熊本市議会議員選挙に公明政治連盟公認で立候補して当選し、当選後は公明会(その後公明党に改称)に所属した[3][4][5][6]。1967年の熊本県議会議員選挙立候補を理由に同年3月31日付で市議を辞職した[6]。県議選は熊本市選挙区から公明党公認で立候補して初当選を果たした[7]。1971年、1975年、1979年にも当選した[8][9][10]。1983年の県議選には立候補しなかった[11]。1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧熊本1区から出馬し初当選[12]。1986年、第38回総選挙で2度目の当選[13]。同年の公明党第54回中央委員会では、副議長に選出。1989年8月に病気を理由として引退を表明し、倉田栄喜が後継となった[14]。
ほかに、衆議院石炭対策特別委員会委員、社会労働委員会委員、公明党熊本県支部選挙対策委員長などの要職を歴任。
また、薬剤師でもあり、明治薬科大学の同窓会組織である明薬会の熊本支部長などを歴任。
1988年3月28日早朝、熊本市の自宅が火災に遭い、妻、長女でアナウンサーの浩子、三女、義母(妻の母)の4人が死亡した[15]。火災発生時、沼川本人は二女と共に東京に居たため難を逃れた[15]。
脚注
[編集]- 1 2 3 『現代人物事典 出身校別 全国版 2353コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 1 2 “沼川洋一氏が死去 元衆院議員”. 日本経済新聞. 2016年10月29日. 2016年10月29日閲覧.
- ↑ 『熊本市選挙のあゆみ 昭和21年~昭和54年 71コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『熊本市選挙のあゆみ 昭和21年~昭和54年 74コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『熊本市議会史 戦後資料編 337コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 1 2 『熊本市議会史 戦後資料編 347コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『熊本県議会史 第7巻 350コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『熊本県議会史 第7巻 619コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『熊本県議会史 第7巻 944コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『熊本市選挙のあゆみ 昭和21年~昭和54年 117コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『朝日選挙大観 第13回参議院通常選挙(昭和58年6月)・第10回統一地方選挙(昭和58年4月) 58コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『国民政治年鑑 1984年版 219コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『朝日選挙大観 : 第38回衆議院総選挙・第14回参議院通常選挙(昭和61年7月) 138コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 『政界春秋 17(11) 20コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 1 2 『毎日新聞』1988年3月28日付東京夕刊、11面。