大東亜戦争軍票

大東亜戦争軍票(だいとうあせんそうぐんぴょう)とは、日本が第二次世界大戦中に東南アジアを占領した太平洋戦争(大東亜戦争)に於て、これらの占領地で日本軍が発行した軍用手票(軍票)の総称である。
1941年以後にアジア・太平洋地域の各地で発行され、各占領地域で従来発行されていた通貨単位を踏襲したため、各占領地の軍票の通貨単位も異なっていた。そのため多くのシリーズがあり、種類も多い。
概略
[編集]日本軍は日清戦争以降、軍事行動の際に必要な資材や労働力の代償として各種の軍票を発行していた。これらのものは戦後処理などにより後に日本政府が正貨と交換しており、日清戦争からシベリア出兵まで日本軍の発行した軍票はほぼ全てが回収されていた。
しかし1937年の盧溝橋事件直後の「軍用手票発行要領(昭和十三年九月二十二日閣議決定)」以後に発行された、日中戦争(支那事変)における日華事変軍票以降は各種の軍票が発行されるようになった。そして、1941年12月のマレー作戦を境に勃発した太平洋戦争によりアジア・太平洋地域全域に戦端が拡大したが、11月1日に賀屋興宣大蔵大臣は「南方外貨表示軍票」の発行を決裁した[1]。これが南方各占領地域で使用した各種の軍票である。
なお、これら軍票は正式にはそれまで現地人になじみのある通貨名称で発行され、そのために新ルピー、新海峡ドルなどとも呼ばれることもあったが、特に南方では、日本側が威信を誇示する為に日本円との表向きの公式交換レートを 1:1 に設定して多くを発行したため、日本兵からは日本円と同視されて「円」として呼ばれることが多った(ただし、香港ドルについては香港ドル2:日本円1の交換レートから始まり、4:1とされ、やがて交換自体が禁止されている。)。しかし、日本本国へのインフレ影響を遮断するため、日本円をはじめ他通貨への交換は事実上制限され、とくに一般の現地住民にとって他通貨への交換は殆ど不可能であった[2]。
これら通貨は、価値に信頼を失い、要は権柄づくて物資を没収同然に入手し軍票を渡すだけの日本軍はまだしも、住民どうしでは受取を拒否されることも多く、結局、住民らは闇市場や物々交換でしのがざるをえなくなっていった。絵柄にバナナが描かれたていたことからバナナ・ノートとか、粗雑な印刷もあってオモチャの紙幣同然としてミッキーマウス・マネーと揶揄されるものもあった[3]。
とくに日本軍政下では、この軍票をそのまま謂わば法定の通用紙幣のような形で扱うことも行われ、例えば香港では従来の香港ドル紙幣との交換を命じ、これら旧貨幣を密かに保管・所持していることが発覚すればゲリラたる証拠としてそれだけで処罰・処刑されることも多かった。また、華中では、中国側の法幣が兌換紙幣であったために、没収した法幣を日本軍側が現地の犯罪組織等を使って中国側支配地区に持出し、密かに銀に換えるといったことも行われた[2]。
1941年11月5日、第七回御前会議で賀屋興宣は、「現地の物資労力等を獲得する為軍票其の他通貨的性質の物を我に方に於て発行するも、其の価値維持は困難なりと謂わざる可からず。(中略)通貨価値の下落等之より来たる現地経済の混乱は一応之を度外視して飽く迄も邁進すること必要なり」と述べている[4]。この賀屋の予測通り、生産力を欠いた日本による軍票の濫発は現地通貨の価値下落を招き、激しいインフレを招いて現地住民を苦しめ、最終的に日本の敗戦により、軍票は一部を除いて有効な貨幣と交換されることなく通用が停止され、多くが無価値となった[2]。
各占領地域の軍票
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は号券
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に号券
[編集]- 旧イギリス領マレーシア(イギリス領マラヤ)で発行。単位は海峡ドル。1942年から1945年にかけて、占領下のマレー半島(シンガポール、マラヤ、北ボルネオなど)で使用され、10ドル札にバナナの樹が描かれていることから、バナナマネーと通称された[5]。

ほ号券
[編集]- 旧アメリカ領フィリピン(アメリカ領フィリピン)で発行。単位はペソ。フィリピンでは軍票の濫発が激しかったため、猛烈なインフレーションに陥った。また現存するものの中には日本に補償を求めるスタンプを押したものが存在する。これは軍票所持者から信託を受けた団体が受領書を交付し、団体ではスタンプを押して管理していた名残である。

へ号券
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と号券
[編集]関連法規
[編集]- 明治37年2月
- 軍用手票製造及び使用法(大蔵大臣)
- 大正3年9月3日
- 臨時派遣部隊軍資金支弁順序(大蔵省)軍票発行
- 大正4年5月9日
- 青島守備軍「公報」第16号軍告示軍票及び圓銀壱圓均照左開行市換算
- 大正7年7月18日
- 金兌換軍票、金貨及び外国貨幣取扱手続
- 大正7年8月7日
- シベリア及び北満へ出兵の場合に於ける軍用手票取扱順序大蔵大臣より陸軍大臣へ
- 秘乙第1812号
- 昭和13年9月22日
- 軍用手票発行要領(閣議決定)
- 支那事変派遣経費支弁軍用手票取扱手続(大蔵大臣達)
- 支那事変派遣部隊経費支弁軍用手票取扱手続の実行方に関する件(理財局長依命通牒)
- 昭和16年12月15日
- 邦銀に於ける軍票対法幣取引開始に関する件
- 昭和16年12月16日
- 軍票対旧法幣の正金建値相場実施(売25円)
- 昭和17年3月9日
- 軍票公定建値を儲備銀行建てに改訂(売20円)
- 昭和17年5月28日
- 上海に於ける銭莊の軍票取引許可制に関する件
- 上海に於ける銭莊の軍票取引取締規定
- 昭和17年5月31日
- 邦銀に於ける軍票対新法幣売買に関する件
- 昭和17年6月1日
- 銭莊の軍票引き取り許可制実施
- 昭和17年6月19日
- 軍票対新法幣の交換相場及び手数料に関する件
- 昭和17年6月20日
- 奥地軍票対儲備券交換取扱変更に関する通牒
- 昭和17年6月22日
- 軍票対儲備券の正金建値を18円1本に改定
- 奥地に於ける軍票対儲備券の両面交換実施
- 昭和17年6月24日
- 南京に於ける軍票対旧法幣片交換廃止に関する件通牒
- 昭和17年7月14日
- 蘇州、常州、無錫に於ける軍票対旧法幣片交換廃止に関する件通牒
- 昭和20年3月19日
- 紙幣、軍票、銀行券の製造確保緊急対策に関する件
- 昭和20年9月16日
- 日本帝国大蔵省声明
文献情報
[編集]- 石原幸一郎編纂「日本紙幣収集事典」、原点社、2005年
- 岩武照彦、「日本軍票の貨幣史的考察(一)」『アジア研究』 1980年 27巻 1号 p.61-82, doi:10.11479/asianstudies.27.1_61
- 岩武照彦、「日本軍票の貨幣史的考察(二)」『アジア研究』 1980年 27巻 2号 p.43-96, doi:10.11479/asianstudies.27.2_43
脚注
[編集]- ↑ 石原幸一郎編纂「日本紙幣収集事典」、原点社、2005年、374頁
- 1 2 3 『香港軍票と戦後補償』明石書店、1993年。
- ↑ “紙くずになった「軍票」 不換紙幣のリスク浮き彫りに(木村貴の経済の法則!)|QUICK Money World-耳で聴く金融トレンド”. QUICK Money World. QUICK. 2026年6月22日閲覧。
- ↑ 木村長門. “大東亜戦争史(木村長門)”. カクヨム. KADOKAWA. 2026年6月21日閲覧。
- ↑ NHK取材班『どう映っているか日本の姿―世界の教科書から』日本放送出版協会、1984年、193頁。ISBN 978-4140083581。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「軍票」とは・・・ (PDF) 日本銀行
- 日本銀行(英文)"World War II Military Currency" - 軍票の画像集へのリンク有