万石浦
| 万石浦 | |
|---|---|
| 所在地 |
宮城県石巻市、牡鹿郡女川町 |
| 位置 | 北緯38度25分33秒 東経141度23分40秒 / 北緯38.42583度 東経141.39444度座標: 北緯38度25分33秒 東経141度23分40秒 / 北緯38.42583度 東経141.39444度 |
| 面積 | 7.30[1] km2 |
| 周囲長 | 16 km |
| 最大水深 | 3.9[2] m |
| 貯水量 | -- km3 |
| 水面の標高 | 0 m |
| 成因 | 内海 |
| 淡水・汽水 | 湾の奥部は汽水[2] |
| 湖沼型 | 富栄養湖 |
| 透明度 | 5.2 m |
万石浦(まんごくうら)は、宮城県の石巻市及び牡鹿郡女川町にまたがる[1]内海である[2]。牡鹿半島の付け根付近に当たり、南西側の渡波で石巻湾に通じている。面積は約7.4平方キロメートル[2]。その名前は仙台藩の第二代藩主伊達忠宗が鹿狩にやってきた際に「ここを干拓すれば一万石の米が取れるだろう」と言ったことに由来するとされる[3]。潮干狩りの名所であるほか、海苔やカキの養殖が盛んである[3]。
絶滅危惧種であるアサクサノリやアマモ、オキシジミ(北限)、ウミニナの生息地として環境省の「日本の重要湿地500」に選定されており、また硯上山万石浦県立自然公園に含まれている[4]。
歴史
[編集]古くは歌枕「奥の海」といわれ、小倉百人一首を撰定した藤原定家も「尋ね見るつらき心の奥の海よ汐干の潟のいふかひもなし」と詠った。
江戸時代には塩田が多くつくられ、入浜式の製塩が1960年(昭和35年)まで行なわれており、東名塩田(現:東松島市に位置)とともに県下の二大塩田と謳われた[3]。また、仙台藩の約半分の量の塩が生産されていたため、藩の財政の一翼を担っていた[5]。
塩田であると同時に万石浦は古くは水上交通路でもあり、大正時代には浦宿と渡波を結ぶ定期航路があった。これは、浦宿に住む個人が2隻の発動機船で始めたもので、渡波で馬車鉄道である牡鹿軌道と乗り継ぐことで、石巻方面との交通路になっていた。普段は1隻で1日当たり100人ほどを運んでいたという。1919年(大正8年)に女川湾で日本がドイツから戦利艦として獲得した潜水艦3隻が一般に公開された。この時、多くの見物客の利用によって定期船は1日で600円の収入を得るほどだった。しかし、牡鹿軌道を引き継いだ金華山軌道が路線を女川まで延伸すると、この万石浦の定期航路はなくなった[6]。
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による津波の影響は内海である万石浦でも養殖棚の多くが津波で流されたり、地盤沈下でカキ処理場が使用不能となるなど大きな被害を与えた[7]。
万石浦の島々
[編集]
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。2011年6月6日撮影の18枚を合成作成。
橋梁
[編集]万石橋
[編集]万石浦の湾口部に、湾の両岸を結ぶ万石橋が架かっている。この湾口部ではかつて渡し船が運航されていたが、1932年(昭和7年)に渡波と祝田浜の間に鉄筋コンクリート橋の万石橋が架けられた。その後、橋の老朽化が進むと、昭和末期から平成の時代にかけて架け替えが行われた。この事業は1985年度(昭和60年度)に始まり、1992年(平成4年)4月25日に新しい万石橋が開通した。旧来の橋の橋脚間隔は狭く船舶の通航に支障をきたしており、新しい橋の構造形式は橋脚間隔の広いアーチ橋となった。現在橋の諸元は、延長178メートル、幅員6.5メートル(全幅15.8メートル)である[8][9]。
浦宿橋
[編集]万石浦の湾奥部に浦宿橋が架かっている。橋の延長324メートル、幅員6.5メートルである[10]。この橋は宮城県道240号石巻女川線の一部で、2022年(令和4年)3月24日に供用を開始した[11]。それまでの浦宿地区の道路事情として、東日本大震災による地盤沈下の影響から大雨時に冠水した道路が通行止めになる、石巻線の高架橋の桁下空間が狭く一部の大型車両が通れない、といった問題があったが、この道路の開通でその解消が図られた[10][11]。また、この道路は、女川原子力発電所が重大事故を発生させた際の、住民の避難ルートとしても想定されている[10]。
脚注
[編集]- 1 2 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積” (PDF). 2015年3月11日閲覧。
- 1 2 3 4 "万石浦"(環境省)2025年3月7日閲覧。
- 1 2 3 “万石浦とは”. コトバンク. 2012年7月26日閲覧。
- 1 2 3 『新版 日本の島ガイド SHIMADAS』令和元年11月22日第2刷 公益財団法人 日本離島センター発行 66頁
- ↑ 石巻観光協会HPより
- ↑ 『女川町誌』291頁。
- ↑ “海と生きる 万石浦、カキ収穫”. 産経新聞 (2011年11月13日). 2012年7月26日閲覧。
- ↑ "(新)万石橋:昭和60年度 - 平成4年度"(宮城県)2026年8月13日閲覧。
- ↑ "鳥瞰撮・いしのまきドローン紀行(56) 万石橋(石巻市)"(河北新報オンライン・石巻かほく)2026年7月26日付記事、2026年8月13日閲覧。
- 1 2 3 "石巻圏・新百景>浦宿橋(女川町浦宿浜)"(河北新報オンライン・石巻かほく)2022年4月6日付記事、2026年8月13日閲覧。
- 1 2 "一般県道 石巻女川線「浦宿橋」が開通しました【令和4年 3月24日(石巻市)】 "(復興庁)2026年8月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 女川町誌編纂委員会 『女川町誌』 女川町、1960年。
- コンサイス日本地名事典 <第3刷> 編:三省堂編修所、出版:株式会社三省堂、1989年12月15日第3刷発行。